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戦場にかける橋(クウェー川)

第二次世界大戦時、東南アジアに展開した日本軍はビルマ(現ミャンマー)への軍需物資輸送を目的に400kmにも及ぶ鉄道を敷設した。いわゆる、泰緬鉄道である。それに伴い、クウェー川に鉄橋をかける必要があり、連合国の捕虜や現地人に過酷な労働を強制した。昭和32年に映画化され、ウイリアムホールデン、早川 雪洲やアレックギネス等の熱演で川の名前”クウェー川鉄橋”と主題歌の”クウェー川マーチ(日本ではクワイ川マーチ)”が有名になった。
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連合軍に破壊された橋は、戦争賠償として日本の手で修復され、バンコックから西北西に約150kmのカンチャナブリという町(バンコック南バスターミナル”サイタイマーイ”からVIPバスで2時間)にあり、観光名所になっている。現在もトンブリ(バンコック)~カンチャナブリ~ナム・トク間の運行に、現役で使用されている。列車が来ない合間に観光客が鉄橋の上を散歩。
戦場にかける橋(クウェー川)_f0116707_22454582.jpg橋の袂には第二次世界大戦博物館があり、当時の連合国軍捕虜の過酷な労働状況をジオラマで見せている。如何にも日本軍将校という(ノッペラ顔の)人形も再現されており、また戦争に関する絵や写真、日本軍の使用していた軍票等々が展示されている。西洋人観光客は熱心に見物していたが、我が日本人としては見るに堪えがたく、目をそむけながらの見物であった。
戦場にかける橋(クウェー川)_f0116707_19181052.jpgカンチャナブリ駅からクウェー川鉄橋に行く途中に、連合軍共同墓地がある。7000人の兵士が静かに眠っている。共同墓地はもう一ヵ所あるそうで、そちらには1800人程の兵士が眠っているとの説明であった。小さな墓標には名前と年齢が刻まれており、20歳前半から30歳前半の若い兵士の無念さが偲ばれる。説明によると、栄養失調や虐待による犠牲者は連合軍で15000人また現地人で30000人と言われているそうである。連合軍を上回る数の犠牲を出した現地の人々の慰霊はどうなっているのであろうか?

by kentakajp | 2008-10-21 18:59 | その他