メーホンソン(その1)
CLLクラブの小旅行でタイのチベットと言われるタイ北西部でミャンマーとの国境沿いに位置するメーホンソン県を訪ねた。チェンマイ~パーイ~メーホンソン~クンユアムの道路は第二次世界大戦当時日本軍の工兵隊によって整備された道路である。1944年1月から始まったインパール大作戦は水牛や山羊を伴ってのジンギス汗式戦法であったが、チンドウィン川の渡河や高地の行軍で家畜は全滅また投入された6万人近い兵士の内5万人近い兵士が英国軍の空襲、飢餓、栄養失調、疫病で亡くなるという歴史に残る失態を演じた。日本軍によって、整備された道路を撤退してくる兵士は途中で命をなくし、この道路は屍累々の白骨街道と呼ばれた。(映画ビルマの竪琴でも紹介された)戦後60年を経た今でも、遺骨収集が継続されている。
チェンマイ~パーイが122km、パーイ~メーホンソンが95km、メーホンソン~クンユアムが66kmでパーイもメーホンソンも盆地になっており、チェンマイからメーホンソン迄は2000m級の山を2度越えていく必要がある、途中はいろは坂の連続で、車に弱い人には気の毒である。現在は、パーイ、メーホンソンには、本数は少ないがチェンマイから飛行機の便がある。
さて、日本軍はインパール大作戦に伴い、象と地元住民を使ってジャングルから丸太を運び、パーイ川に木製の橋をかけた。終戦に伴い、橋は焼却処理された。その後、木製の橋が建設されたが、1973年の大洪水で流出し、メーホンソン県はチェンマイ県にピン川に掛っている鋼鉄製のナワラット橋の譲渡を申し入れた。1975年に移設が始り、1年掛って、完成した。
現地の観光用案内板ではそのように説明されている。チェンマイに帰って、調べているが、ナワラット橋が譲渡されたという歴史資料が見つからない。あの山を越えて運搬したのかどうか?
by kentakajp | 2009-11-28 13:17 | タイ北部