カテゴリ:タイ北部( 29 )

ビザラン-1(チェンコーンからフエイサイ)


ビザラン-1
(チェンコーンからフエイサイへ)

タイでは日本人旅行者に対して、ノービザで30日の滞在を認めている。それ以上の滞在を希望する場合は観光ビザ(60日)の取得が必要である。また、長期滞在者にとっては年金ビザや就労並びに留学ビザ等がある。

今回はノービザで入国し、63日の滞在予定なので年金ビザの再申請をするつもりであった。

しかし、2013年111日にタイ出入国管理規定の改定で、G7 サミット参加国の国民を対象に陸路および海路での入国時の滞在ビザは15日から30日に延長する

(2008年12月にこの逆の改悪がなされた)ことになったとのニュースを得たので、滞在途中でビザ取得の出国(ビザラン)をしてみることを思いついた。

通常、チェンマイからは最北の町メーサイに行きミャンマーのタチレックに出るのが一般的である。しかし、昨年末にチェンコーン、フエイサイ(ラオス)に「タイ・ラオス第4友好橋(中国とタイの共同出資)」が開通したとの情報を得たので、メコン川を渡って滞在ビザを得ることを計画した。

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チェンマイからチェンコーンへミニバスが運行されている(1便/日、450バーツ、4時間、ナムコーンゲストハウス:ターペー門近く)またアーケードバスステーションからVXバス(451バーツ、5時間)およびAバス(231バーツ、7時間)が運行されている。いづれの場合も、一便/日の運航で現地で一泊する必要がある。

他の方法では、チェンライを経由する方法がある。この場合は、チェンライ~チェンコーンまではローカルバス(65バーツ、2時間)に乗る必要がある。

一泊は免れないようなので、便数の多いチェンライ経由を採用した。チェンライまではVIPバス(280バーツ、3時間)、Xバス(180バーツ、3時間)、Aバス(144バーツ、3時間)の3種類があり、席のゆとりの度合いや飲料水と茶菓のサービスがあるかどうかさらに途中停車するかしないかの違いである。Aバスに乗ったが、乗客の要望に応じて各所で停車(バス停ではない)していたが約3時間半で到着、快適なバス旅行であった.

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(チェンライイ~チェンコーン行きバス時刻表とローカルバス)


チェンライからチェンコーンへのバスは一時間に一便運行されており、乗降扉を開けっ放しで走るローカルバスそのものであった。橋の掛かったところが国境なのだが、チェンコーンの手前約10キロに位置し、本線(国道121号から2キロほど離れている。またバスの停留所はない。ソンテオがチェンコーンの市内から50バーツ/人で輸送してくれる。今回は、陽気な女性車掌さんの計らい(?)で、ラオスに渡る外人の頭数(確か6人)で計算して、一人35バーツで途中立ち寄ってくれることになった。(他の乗客をほったらかしてのアルバイトか(?)

イミグレーションオフィスは人影もまばらで、出入国手続きも簡単に済ますことができた。

先ず出国手続きの前にバスのチケット(徒歩での国境超えは禁止)20バーツを購入、バスで橋を渡り(国境を越え)ラオスの入国手続き(ノービザで15日間滞在可能)。

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その後ラオスのソンテオ(1トントラックの荷台を改造したボロボロの車)でフエイサイへ、100バーツ(タイバーツが使用できる)を要求されるも、移動手段はこれしかなく、ボッタクリに憤慨するも了承せざるを得なかった。

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折角来たのだから、ラオスで一泊したが、フエイサイの町では観光するものはなかった。


一泊したという自己満足だけで、翌朝早くフエイサイの町を後にした。


フエイサイの町はユネスコ世界遺産に登録されたラオスの古都ルアンプラバンへのボート発着始点として知られている。スピードボートは時速80kほどで8時間ほど。(時々転覆の噂がある)また、スローボートは途中一泊でのゆったりしたクルージングを楽しめる。
(フエイサイ~ルアンパバーン:220000キップ=880バーツ≒2800円)


タイへの入国手続きは至って簡単、無料で滞在ビザ30日(一ヶ月ではない)を発行してくれた。

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タイ・ラオス第4友好橋は全長1.2㎞、橋渡対象:自動車、中国の雲南省昆明からラオスを経てタイのバンコクに陸路による移動と輸送が可能になる。アジアンハイウエイ3号線の一部である。

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因みに、アジアンハイウェイ1号線は東京日本橋を起点に、福岡からフェリーで韓国に渡り、北朝鮮、中国、ベトナムやタイ等を経由する国際高速道路網のこと。全長20557㎞でトルコとブルガリアンの国境付近を終点とする。)













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by kentakajp | 2014-02-03 22:07 | タイ北部

パヤオ湖

                   パヤオ湖に沈む夕日は一見の価値があると言われている。
                   ゆっくりと一泊して、それを眺めてみようと出かけた。

               
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                   パヤオ湖はチェンマイから東北東に約170km。バスで約2時間半。
                   色々な資料があり、正確なことは解らないが、海抜 380m、
                   2,450Haの大きさで1939年に漁業用に堰がけられ現在の姿になった。

                   古都でありながら、観光客への紹介が少ない街である。
  

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                   湖の西方に1856mブッサラカム山がそびえている。
                   そこに沈む夕日と湖面に映える夕日は秀逸である。

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                   つるべ落としの夕日。

                   湖の直ぐそばの宿のベランダでビールを片手に暫し悠久の一時。
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by kentakajp | 2012-02-10 15:32 | タイ北部

プミポンダム

ようやく乾季を迎えた11月14日、“CLLクラブの自然を楽しむ会”の皆様方と“ターク県”にある東南アジア第二の大きさの“プミポンダム”を訪ねた。
ダムのある“ターク県”はミャンマー(タイ語ではパマー)に隣接しており、国境の町“メーソット“近郊ではミャンマーの総選挙がらみでカレン人の反政府勢力が追われて難民となり、従来の8万人に加え、その約2割に相当する人達がさらに流入して来て、国際問題になっている。(2008年12月のブログ“ティーロースー滝”記事参照)

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プミポンダムf0116707_14475746.jpgは琵琶湖の約1/2の貯水容量の134億トン。1950年代半ばに建設を開始、1964年に完成。(No.1 はシーナカリンダム177億トン、1978年完成)
完成と同時に発電を開始。当初は“ヤン・ヒーダム”と呼ばれていた。当時としては、東南アジアNo.1の大きさのダムであった。
上には上があるもので、ジンバブエの“カリバダム“は琵琶湖の7倍(1800億トン)もの貯水量で世界一だそうである。(日本では”奥只見湖ダム“の4.6億トンが最大)

f0116707_14375826.jpgチェンマイからは約300kmほど南に位置し、若干強行軍の日帰り旅行であったが、好天に恵まれ、また舗装状況の良い国道1号線を一路南下して、途中“化石木公園”の見物も含めて、5時間ほどでダム湖に到着。
化石木は直径が1.8m長さ約72mの巨大な化石で、80万年前のものだそうで地下水のシリカ成分が細胞に浸透し沈積したもの。第4紀の地層(200数十万年前から現代までの地層)の早い時期の地層から掘り出されたものとの事。







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f0116707_15204330.jpg湖面はチェンマイ(海抜315m)より若干低い(約270m)高さで、堰堤は20から30m湖面より高く、その高さは約154m、堤長は486mである。このダムは発電、漁業、観光を目的に設置されている多目的ダムである。因みに、発電能力は740MW(1から6号機の能力増や7,8号機の増設により)で“シーナカリンダム発電所:740MW”と共に東南アジアNo.1の水力発電所と言われている。しかし、稼動実績は最大で30%、普段の年はせいぜい20%弱の発電量である。これは、乾季の水不足の時は発電画できないことまた4月以降の電力の尖頭期に応援発電する位しか寄与していないことを意味する。(同国全体ではLNG発電7割を占め、次いで石油石炭となっており、水力発電の寄与は数%と思われる。総電力使用量は約2,000億KWh/年で日本の1/5弱である)
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我々が訪れた時は、雨季が終わったばかりと言うのに、湖面の水位は満水時よりは10m以上も低く、今から始まる乾季に対応できるのか不安を覚えた。

f0116707_15141232.jpg我々は、到着が丁度お昼過ぎで、大きな屋形船(両サイドの後部を小型ボートで押しながら航行する形式)に乗船し、2時間余りの“ランチクルージング”を楽しんだ。尤も、朝食が早かったので、皆さん昼食に夢中になって、景色を楽しむ時間が少なかったように思うが、日ごろ見られない雄大な湖の景色を眺めながらの昼食は格別の味であった。
プミポン現国王のお名前(皇后のお名前はシリキット)
シーナカリン皇太后のお名前
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by kentakajp | 2010-11-16 15:17 | タイ北部

ドイ・トウン・パレス(チェンライ)

冬晴れの下、"CLLクラブの自然を楽しむ会"のメンバーとチェンライの北方約60Kmにある"ドイ・トウン・パレス"を訪れた。
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f0116707_1455178.jpgチェンマイから国道118号線を北上し、途中国道1号線に合流し合計186km走行してチェンライに到着、さらに国道1号線40km北上し、左折して国道1149号線に入る。(往復約500kmの遠乗りであった)
(地図では、チェンライ以北を描写)

ドイ・トウン・パレスは"メーファールアン・ガーデン"と"ロイヤル・ビラ"で構成されており、プミポン現国王(ラーマ9世)のご母堂であるシーナカリン親王妃のチェンライご滞在時の住居である。約22年前に自費を投じて建てられたもので、ご逝去されるまでの6年間を、静かに刺繍をされたり事前事業のドライフラワーをおつくりになって過ごされたとのこと。また、星座に興味を持たれ、大広間の天井には星座の12宮が取り付けられている。(親王妃は1994年、94歳でご逝去)
ご自身の住居を建てるにあたり、地域の発展に寄与できる場所ということで、この地(山岳地帯)を選ばれた。親王妃はお子様たちの教育期間をスイスで過ごされた関係で、スイスの風景を愛しておられたことから、住居はヨーロッパ様式とタイの山岳建築様式を取り入れられたとのこと。
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ガーデンの方は馴染みのある”ゼラニウム”、”葵”他色とりどりの花で飾られていた。温室もあり、欄の品種改良も手がけている。
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特に大振りの”牡丹”がところどころに植栽されていたのが印象的であった。
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by kentakajp | 2010-03-03 14:07 | タイ北部

メーホンソン(その3)

第二次世界大戦で日本軍はビルマ戦線強化のためにタイのチェンマイ~パーイ~メーホンソン~クンユアム間軍用道路を建設した。その際、現地住民を強制労働で駆り出し、過酷な労働で多くの死者を出したと言われている。また、1945年(終戦の年)にはインパール作戦の失敗による敗走兵がこの軍用道路を使って、ビルマ~チェンマイへと撤退して来た。英国軍他の空襲や栄養失調、マラリア、アメーバ赤痢等の疫病で屍累々の惨憺たる光景が今に伝えられている。この道路はタイ人の死者も含めてタイの白骨街道と呼ばれている。
f0116707_12532435.jpgこの地に警察署長として赴任したチューチャーイ・チョムタワット氏(2007年4月に旭日双光章を受勲)が現地の住民が日本軍の遺品を数多く保管しているのを見て、これらは単なる物々交換の品ではなく、色々な思いが込められたものと言う考え方から、それらの寄付を募り、1996年に博物館を開設した。2006年に改装され、現在は”第二次世界大戦博物館”として公開されている。
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タイ北部では今も遺骨収集が続けられているが、戦後60年以上が経過したことまた各師団が入りっ乱れての敗走であったことから、故人の特定は困難を極めているとのこと。
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博物館入口には井上朝義さん(インパール作戦に従軍、ご健在ならば89歳)による慰霊碑が建てられていた。
この道路の沿線では、あちこちに慰霊碑が建立されている。本年、逝去された藤田松吉さん(ランプーン(チェンマイの南)、インパール作戦に従軍、90歳)は千数百体の遺骨を収集し、ご自宅の庭に慰霊碑を作り、同胞の霊を弔っておられた。メーホンソン県やチェンマイ県の寺院に遺族や友人で或いは県人会としての慰霊碑が数多く建てられている。
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敗走日本兵はクンユアムの土地で、現地の人たちから宿を与えられ、食物を与えられ、負傷兵は看病をしてもらいということから、タイ人と日本兵の間に愛と絆が育まれたと言われている。
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ゲオばあさんとフクダ上等兵の悲恋物語は今も続いている。日本軍の残虐ぶりを宣伝している戦場に架ける橋で有名なカンチャナブリとは全く異なる関係が築かれていたことが解る。
戦後60年を経た現在、平和を享受している我々は、これらの現実を見て、現地の人々の言葉”Forgive but not forget”を胸に刻み込まねばならない。
12月8日(第二次世界大戦 開戦の日)のNHK番組で戦場で兵士が身に着けていた寄せ書きの国旗(ほとんどは武運長久と書かれている)が米国で売買されているという悲しい報告があった。出征する兵士に生きて帰れとの願いを込めた寄せ書きを親族の元に返そうという運動があるが、戦後60年を過ぎると情報不足で、故人の元へは戻れないのが現実なのだそうである。年金の話と同じように厚生労働省は、何らかの対策は打てないものであろうか?今まで、労力を注ぎ込まなかった付を払うためにも、大量動員して、遺品を遺族の元へ返してほしいものである
第二次世界大戦での戦死者は210万人、未だに115万柱の遺骨が未収集である。
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by kentakajp | 2009-12-05 13:14 | タイ北部

メーホンソン(その2)

パーイから九十九折りの坂道を途中の峠を越えながら、西北西に95km走って、メーホンソンに到着。市内の東に位置するチョーン・カム湖に面して、ウワット・チョーン・カムウワット・チョーン・クラーンが双子の様に並んでいる。何層にも重なり合った屋根には金色の装飾が施され、ビルマ(現ミャンマー)の影響を色濃く感じさせる。
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市内の西方の山の頂上に、ウワットプラ・タート・ドイ・コン・ムーがある。大小二つのの仏塔があり、大きい方は1860年にビルマから持ち込まれたもので小さい方はメーホンソンの最初のリーダーであるパヤ・シハナット・ラチャによって1874年に建立された。
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この寺院に上ると市内が一望できる。東の方にローカル便発着の可愛らしい飛行場の滑走路が見える。山に囲まれた盆地でこじんまりとした市内の様子が良くわかる。またコンパクトな町なので、飛行機の出発間際まで、あちこちと見物できるとか。さらに西の方角には、ビルマの山々を望むことができ、夕景色が美しい。
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メーホンソンの町は周囲を1500m級の山に囲まれた盆地で、放射冷却により、朝霧がかかることで有名で、朝方のウワット・ドイ・コン・ムーからの市内の眺めも、またチョーン・カム湖での眺めも幻想的である。
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朝霧に包まれたウワット・チョーン・カムとウワット・チョーン・クラーン。
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by kentakajp | 2009-11-30 14:25 | タイ北部

メーホンソン(その1)

f0116707_12382780.jpgCLLクラブの小旅行でタイのチベットと言われるタイ北西部でミャンマーとの国境沿いに位置するメーホンソン県を訪ねた。チェンマイ~パーイ~メーホンソン~クンユアムの道路は第二次世界大戦当時日本軍の工兵隊によって整備された道路である。1944年1月から始まったインパール大作戦水牛や山羊を伴ってのジンギス汗式戦法であったが、チンドウィン川の渡河や高地の行軍家畜は全滅また投入された6万人近い兵士の内5万人近い兵士英国軍の空襲、飢餓、栄養失調、疫病で亡くなるという歴史に残る失態を演じた。日本軍によって、整備された道路を撤退してくる兵士は途中で命をなくし、この道路は屍累々の白骨街道と呼ばれた。(映画ビルマの竪琴でも紹介された)戦後60年を経た今でも、遺骨収集が継続されている。
f0116707_13161241.jpgチェンマイ~パーイが122km、パーイ~メーホンソンが95km、メーホンソン~クンユアムが66kmでパーイもメーホンソンも盆地になっており、チェンマイからメーホンソン迄は2000m級の山を2度越えていく必要がある、途中はいろは坂の連続で、車に弱い人には気の毒である。現在は、パーイ、メーホンソンには、本数は少ないがチェンマイから飛行機の便がある。
f0116707_131336.jpgさて、日本軍はインパール大作戦に伴い、象と地元住民を使ってジャングルから丸太を運び、パーイ川に木製の橋をかけた。終戦に伴い、橋は焼却処理された。その後、木製の橋が建設されたが、1973年の大洪水で流出し、メーホンソン県はチェンマイ県にピン川に掛っている鋼鉄製のナワラット橋の譲渡を申し入れた。1975年に移設が始り、1年掛って、完成した。
f0116707_19344899.jpg現地の観光用案内板ではそのように説明されている。チェンマイに帰って、調べているが、ナワラット橋が譲渡されたという歴史資料が見つからない。あの山を越えて運搬したのかどうか?

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ともかく、現地ではmemorial bridge(?)(橋は焼却処理されたはず)の標識と鋼鉄製の橋(ナワラット橋?)が残されており、観光名所となっている。
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by kentakajp | 2009-11-28 13:17 | タイ北部

チェンライ~プーチーファー

11月14日(土)に、CLLクラブ自然を楽しむ会の皆さま方と昼間のプーチーファー(チェンライから直線距離で約70km東に位置し、ラオスとの国境にあり、ご来光と雲海が売りの北タイ観光のメッカである)を訪れた。すでに乾期に移行しており、天気はすこぶる良い。途中チェンライ近郊ののロンクン村にあり、近年人気を集めている”ウワットロンクン"と言う白一色のお寺を訪れた。
f0116707_15181928.jpgチャレムチャイ・コシトピパートさんと言う芸術家が故郷に私財を投じて建設なさっているのだそうだ。彼は今年で54歳になるが、2004年に日本の人間国宝に相当する「伝統芸術保持者」の称号を与えられたそうである。学生の頃から有名で、シルコパン大学の最終年にはナショナル・アーツ・コンテスト金賞を獲得。29歳のときにはロンドンにあるタイ政府の寺院の壁画を4年間掛けて描いた。それらの結果、プミポン国王を描く許可を持っている数少ない芸術家の一人だそうである。寺院建設のために専門である仏教絵画・彫刻の他に寺院建築を学び、1997年に”ウアットロンクンの建設を開始”したとのこと。
f0116707_1533375.jpgプーチーファーへは昨年12月に一泊2日でご来光を見に行った。早朝、暗いうちからの登頂で、頂上付近までは、きれいんさ星空を仰ぎながら、ご来光の期待がふくらんだが、山頂に着いた途端にガスが発生し、結局ご来光は見られなかった思い出がある。
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今度は、乾期に入っての昼間である。悪くても雲海が眺められるであろうと期待を込めて登った。展望所の駐車場から、約20分掛けて(約100mの高度差)山頂に到着。プーチーファーとは「天空を指す山」と言う意味で、確かにこの山頂は天に向かって突き出した岩で形成されており、その名の通りである。本写真は「天空に向かって吼える獅子」と言う姿を想定してのアングルで捉えてみた。
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天気も良く、チェンセーン、チェンコーンではラオスとの国境を形成していたメコン川が、東側に大きく10数kmずれて(ラオス領内に)いるのが良く解る。また、プーチーファー断崖絶壁(200mほどの崖がラオスとの国境を形成している)であると言うのも理解できる。
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by kentakajp | 2009-11-21 15:16 | タイ北部

メーモー火力発電所

10月24日(土)、CLLクラブ(チェンマイロングステイライフの会)の”自然を楽しむ会”の皆様方と大気汚染で名を馳せた”メーモー火力発電所”を訪れた。チェンマイから国道11号線をひたすら南下し、ランパーンを過ぎて15km程の所を左折すると、発電所の専用道路に入る。緑豊かな林に囲まれた丘陵地帯の中から、突然現れた横一列に並んだ10基の大型発電設備も壮観ならば東南アジア最大の石炭の露天掘り採掘現場の規模にも驚かされた。
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f0116707_23294897.jpg火力発電所は国営のElectricity Generation Authority 0f Thailand(EGAT)が運営している。1978年に1,2号機が稼働し、以降順次増設され、現在は13機中10機が稼働中(1~3号機は老朽化により廃炉)である。現在の総発電能力は2625MWでタイ国全体の発電量の10%弱を賄う能力となっている。

(写真は廃炉の1~3号機)
総発電量の50%が北タイ地区へ、30%が中央タイ地区へ、20%が北東タイ地区へ供給されている。
f0116707_22403661.jpgメーモーの露天掘り採掘場は褐炭と言う低品質の石炭で,採掘場は南北18.3km、東西8.8kmの広さである。確定埋蔵量821百万トン推定埋蔵量670百万トンの合計1491百万トンと言われている。1954年から開発が進められ、1978年に発電設備の稼働に伴って採掘量が増加し、2005年の12月現在で、264百万トン採掘済。現在は1500万トン/年位の採掘スピードでタイ全国の石炭使用量の70%以上占めていると言われている。タイ国内のエネルギー事情からすると、今後は7%/年で採掘量は増加すると予想されている。
f0116707_2301520.jpgここの褐炭は高水分、高灰分、高硫黄と大変扱いにくい石炭だそうである。きれいなゴルフ場に囲まれ、素晴らしい環境のリゾート地区に見えるが、1992年10月には住民および従業員の5%以上に当たる約1000人が呼吸困難めまい等で病院に駆けつける騒ぎを起こし、以来公害訴訟が継続されている。ようやく、日本の技術を導入し、脱硫対策は何とかクリアしたがPM(粉じん)およびHg(水銀)の排出が現在も問題視されている。訴訟は長期化しているが、相手が国営企業と言うことで、なかなか解決の糸口が見つからない様である。温暖化ガス排出規制が厳しくなる今日、石炭火力発電の増設は難しくなると思うのだが。まして、低品位炭の使用は。
我々が訪れた時も煙突からの煤煙が滞留し、黒い雲を形成して隣接のゴルフ場を覆っていたのには驚いた。
タイの発電事情は天然ガス70%石炭(褐炭)15%水力7%である。温暖化ガス排出抑制が叫ばれる中(石炭は天然ガスの2倍のCO2発生)、石炭発電は難しくなるであろう。
原子力発電については、原子力の使用について検討を始めた段階で、日本と技術支援協定を締結した段階と聞いている。
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by kentakajp | 2009-10-26 23:31 | タイ北部

スリサンワン滝トレッキング

10月10日チェンマイ山の会(チェンマイロングステイライフの会のトレッキング愛好会)の今年最初のトレッキングに参加し、スリサンワン滝公園周辺をトレッキング後同じ国立公園内にあるポーンアーン温泉で露天風呂を楽しんできた。また、この辺りはミャンマー国境に近いこともあり、その昔、中国からやってきてここに住み着いた中国人達の村アルノタイがある。そこに立ち寄り、餃子ワンタン麺を頂いて来た。
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スリサンワン滝はパダン国立公園(チェンダオから国道107号線を6km北上したところで国道1178号線に移り更に24km北上したところにある)内にあり、海抜510~610m周囲2km程度のトレッキングコースを有している。
f0116707_1421514.jpg今年最初のトレッキングでもありまた非常に蒸し暑かったので、十分な休憩をとりながら、1時間かけて頂上にたどり着いた。途中は見晴らしはほとんど考慮されておらず、けもの道ならぬ牛の道(麓が牛の放牧場)を黙々と登山するのも疲れを呼ぶ。



山頂からの眺め:北のドイアンカーン方面と東のチェンダオに続く山脈
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このあとは、アルノタイの中国人村を訪ね、餃子ワンタン麺に舌鼓を打った。トレッキングで大量の汗をかいたこともあり、ビールのおいしかったこと。大満足の昼食でした。
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仕上げはポーンアーン温泉露天風呂に浸り、疲れを癒して帰路についた。
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f0116707_12474523.jpg大満足の秋の一日でした。
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by kentakajp | 2009-10-12 12:33 | タイ北部